佐藤可士和が生んだ今治タオルの歴史と誕生秘話!

    クリエイティブディレクターの佐藤可士和さんが手がけた「今治タオルブランド」は、今治といえばタオル、タオルと言えば今治というぐらいには日本国内でも根付いてきました。

    知名度は約80.0%となり、今治タオル=高品質タオルというブランドイメージを持たれている一方で、これまでの歴史や実態についてはほとんど認識されていません。

    今治タオルは実はかなりの紆余曲折があって誕生しています。
    そのあまり知られていない姿。
    瀕死の重傷だった今治産のタオルがここまで成功した物語について『今治タオル 奇跡の復活 起死回生のブランド戦略』(朝日新聞出版)からポイントを絞って説明します。

    目次

    今治タオル消滅の危機

    ◆ 500のメーカーが230まで減少した壊滅時期

    1960年、愛媛県今治で開発したタオルケットが爆発的に売れ、日本最大のタオル生産地として一躍有名になりました。
    しかし、1980年代後半より中国から輸入された廉価なタオル製品が激増し、そこにバブル崩壊。今治のタオル生産は壊滅的な大打撃を受けます。
    それを受け「今後、今治産地はどのようになるか」、今治のタオルメーカーをまとめる「四国タオル工業組合」が組合員に実施したアンケートを実施したところ、なんと「衰退に向かう」と回答した組合員はわずか半数。
    それを知った当時の理事長は「今治に伊予柑(いよかん)はあるが、危機感はない」とさえ漏らしたといいます。
    それに比例するかのように次々と廃業に追いやられ、500社以上もあったメーカーが230社まで減少。
    状況が落ち込む中、新理事長の藤高(ふじたか)氏は強い危機感を持ち、「産地ビジョン」を書き上げます。しかし組合員には一向に読まれません。

    2000年以降、セーフガードの発動見送りと世界同時不況、リーマンショック、デフレの進行と歯止めがきかず、そんな中、どうやって今治タオルの知名度を上げようかと「新産地ビジョン」を策定し具現化しようと奔走していた理事長宛にひとつの話が持ち込まれます。
    世界に通用するメイド・イン・ジャパンのコンテンツを支援しようという国の施策である、中小企業庁の『JAPAN ブランド育成支援事業』という企画です。

    デザイナー佐藤可士和の決断

    ◆ 実は勝算がなかった今治タオル

    この支援事業に短期間で申請し、今治タオルプロジェクトが見事に採択されます。
    しかしそれで万歳!という訳にはいかなかったのです。

    白羽の矢が立ったのが、クリエイティブディレクターの「佐藤可士和」氏。佐藤氏のブランディングに関する活躍はキリンビールをはじめユニクロ、セブンイレブン、楽天などご承知の通りです。
    しかしそんな佐藤氏も「勝算がなかった為に引き受けるのは無理かと思った」と回顧しています。
    その理由は「日本の地域再生」の施策でありながら、大手企業がブランディングに投入する金額とはケタ違いに予算が限られていたためです。
    佐藤氏はあまり前向きにはなりませんでした。しかし、その考えはある瞬間を機に1分で覆ったといいます。
    お土産で渡された吉井タオルの「今治の白いタオル」を使った瞬間です。それは驚きよりも感動、衝撃だったと記しています。

    佐藤氏はこの仕事を引き受け、「ブランドコンセプトや厳しい基準を設ける」「今治のメーカーをとりまとめる『四国タオル工業組合』が独自の認定基準に従って合格したタオルのみにブランドマーク&ロゴを付与」など様々な戦略を掲げ、今治タオルブランドとして復活を目指します。

    ‫今治タオルブランドロゴ

    <参考記事>今治タオルに付いているタグのデザインと数字の秘密とは!?

    メーカーの意識のギャップ

    ◆ ブランディングに対して懐疑的なメーカー

    2007年2月 青山スパイラルホールで開催した「今治タオルプロジェクト展」では多くのメディアを集めてロゴマークを発表。
    反響も上々でしが、その当時、ユーザーはタオルを手に取って購入できるのは今治にいくしかありません。
    そこで佐藤氏が組合に東京の店舗展開を要求したところ、返ってきた答えは「No」。お金がなかったのです。
    しかしお金がないという理由の裏には他の訳があったようです。
    そこで佐藤氏は初めてブランディングに対して懐疑的な組合員がまだいることを知ります。
    それを聞いた佐藤氏は当然、全メーカーの合意が取れていると考えていたために言葉を失ったそうです。
    これだけの危機でありながら独自の経営で乗り越えようとするメーカーも残っており、恐らくメーカーのひとりである理事長の話だけでは理解を示さなかったと推察します。

    今治タオルブランドの第一歩

    ◆ 佐藤可士和の推進力と理事長藤高氏の覚悟

    その後、総合プロデューサーとして正式にオファーされた佐藤氏は藤高氏にある条件を提示します。
    それは「東京で今治タオルを購入できる場所の確保」です。

    藤高氏は今治タオルの復活と発展を願いながらブランドを発信させるための場所として伊勢丹本店を確保。
    これが様々なメディアで取り上げられ、その後の地道な努力により現在の今治タオルブランドとして確立いたしました。

    このように今治タオルブランドは本当に数多くの困難を乗り越えて今に至りますが、最近では新たな問題も発生しています。
    厳しい審査を通過したタオルだけが今治タオルブランドのマークを付けられることからも分かるように、一方で今治産のタオルだから「今治タオル」として販売しているケースもあり、通販で売上No.1の某人気タオルも実は今治ブランドタオルではないという実態があります。
    百貨店でワゴンセールしている「今治タオル」と書かれている商品にも承認されていない物が数多くありますので今治タオルをご購入の際には、必ずタグ(ネーム)が付いているかご確認ください。

    なお、当社ワールドタオルの商品は、今治タオルの再生のきっかけとなった吉井タオルの製品です。

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